2018年03月25日

会場一番乗り

IMAG1530.jpg
調剤報酬改訂に伴う集団指導。
今日は、一番乗り(笑)

お気に入りの席を選ばせてもらう。
一番後ろの、上の席から眺めていると、
通路側の席から埋まっていくのが良くわかる。
この、開始一時間前位から来てしまっているグループ(笑)とは
『今から始まる3時間を左右挟まれて窮屈に過ごすことがいかに苦痛であるかを知っている集団』
もしくは
『別にそういうわけではないけど1時間前行動は当たり前!という集団』
といったところか。

9時10分にもなると、ゾロゾロと絶え間なく入ってくる。
20分時点でも空席はそこそこ。
今年は立ち見者が出なくてすむかな?
posted by うたまろ at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動日誌

2018年03月21日

ACPについて学ぶ

昼と夜の長さが同じになる、めでたい日。
そんな日にわざわざ研修するのだから、頭に入れなければ。
ACP備忘録
→『前もって』
→『最期にあたり大切なこと。価値観や選択、気がかりな事を』
→『話し合って伝えおくプロセス』

ACPがあると、例えば延命治療の選択など、
“もしも”の時に現場と家族(遺族)の迷い、後悔、負担が減る。
ただし、単に『延命するしない』の決定ではなく

“価値(バリュー)”の選択

である、と。
なお、多くの病院では未だ、
ACPを獲る=入院患者家族から“緊急蘇生をしなくていいです”という言質を獲ること
なのだとか。

いやいやそうじゃないよ、
ACPって、“聴く”んだよ、“話し合う”んだよ、という話。

なるほど。
自分なりに重要と感じたのは『前もって』の部分。
ゆっくりと死を迎えられるヒトはある意味、幸いなケースで、
ヒトによってはある日突然に亡くなったり、一命をとりとめても意識が戻らなくなったりする。
その時、当人の意志は?価値観は一体誰が担保してくれるか。
親か?
子か?
配偶者か?
友達か?
上司や部下か?

やはり、自分の思いはきちんと事前に考えて、
出来れば文書に書き出して、
さらに出来ることなら、大事な人たちと共有するのが良いと思う。

もちろん、ACPは一回きりの選択ではなく、
人生を軸に見立てて、逐次変わっていくもの。
大事な考えが変わったら、都度、書き足していけば良い。

『どう死ぬか』は一見、ネガティブな検討に見えるが、
ACPに関連したゲームなどの参加者の大半が
自分のもしもを考えられたことについて
『良かった』
と感じ、“縁起でもない”というようなネガティブな感想は全く無かったとか。
(ただし、『かなり疲れた』という反応もあり、十分なセッティング、丁寧なコミュニケーションが重要)

講義を振り返って
→『どう死ぬか』と『どう生きるか』はおそらく同義。
“コペル君と叔父さん”のお話のブームにやや乗っかる形で聞いて見ましょう
『あなたはどう生き、どう死にたいですか』

posted by うたまろ at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動日誌

2018年03月06日

gleaning

gleaning
【名詞】
1.少しずつ集めること、落穂拾い
2.《gleanings》〔集めた〕落ち穂


調剤報酬改定の内容が、おおよそ判明したもよう
調剤報酬改定とは即ち、
「昨日までと同じ仕事をするだけでは、薬局への報酬を下げます」
「それが嫌ならば、今日からはこのように働いてくださいね」
という天の声に同じ。

もちろん、『国が目指す施策』については既にはっきり明示されたものであるから、
日頃よりアンテナを張り、患者さんに根差した活動を行っている限り、
この改定ごとに右往左往する事はほとんどなかった・・・はず。

当薬局としても、概ね、次の調剤報酬に準じた業務形態にシフトしていくのはまず間違いない、、

『後発品をお勧め』して
『お薬手帳の啓発』や『持参の呼びかけ』に努め
『お家で眠っている残薬をつきとめて』は今日の処方から減らしてもらう

そうして、医療費を1円でも抑えることが、次なる薬局の使命であるとか。

・・・うん、そうしなければならない段階なのは重々承知。

古巣の薬局でも“利益を最大化させ続けるのが経営者の最大の仕事”と師からは教わり、
そしてその教えを実践しようと

millet06.jpg

さながらこのミレーの落穂拾いの様に、事あるたびに細かく、隅々まで目を光らせることで
1円でも、2円でも多く利益を生み出そうとしてきた。
自店のスタッフも、そんな自分について疎ましく感じることは一度や二度ではなかろう・・

しかし、
本来の薬局の、薬剤師の仕事とはそういうネガティブコントロールばかりではなくて、
例えば薬物治療における処方提案を行うとか、
もっとポジティブな機能を果たすために使われた方が

『みんなが幸せになれる』

気がするのだけれど、それにはまだまだ薬剤師のレベルが足りないというのが社会の評価か、、

ここ最近、色々な研修に顔を出すことで
『世の中には調剤報酬など眼中になく、独自の観点からの患者貢献を行っている』
ような薬局や病院が存在していることをいくつも見聞きすることが出来た。

たとえばそれは、病棟におけるプレアボイド活動であったり、処方提案であったり
ともかく『保険上、何の点数もつきません』というもの。
点数はつかないということは、実質【ただ働き】ということ。
経営的に言えば、やればやるほど赤字になる。

でも、その活動内容を報告する方々の表情は皆一律に誇らしげで輝いている。
これは、その施設の経営者のマインドが大きく関わっている所でもあると思う。
度量の狭い経営者なら、
「そんな利益を生まない事はやめて、落穂を拾ってこい!」
となる。

『目に見える利益にならなくても良いから、本当に患者の為になる事をやろう』
そういう医療機関に勤められることは、幸福の一つであるし、
調剤報酬がどれだけ改定しようとも、大山鳴動しない。

思えば、しょうたろう薬局も、
なれるものならばそういう医療機関を目指したいと思ってきたけれど、
現実は中々に厳しい。
『やりたい事』の前に『やらなければならない事』の方が圧倒的に多い。
でもそれは、どの業界でも、誰でも同じなのでウチも頑張ろう。

ところで、ミレーのこの絵は
millet06.jpg

実は、自分が思っていたものとは全く別の、深い訓示を含んでいたことをつい先日知った。

「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。
 収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。
 …これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」 〜レビ記 19章や23章〜

「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。
 それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。」 〜申命記 24章19節 〜

なるほど、徳の精神なのだ。
何でもかんでも取れるだけ取りつくしてしまうと、後には何も残らない寂しい風景だけが残る。
でももし、あえて取りこぼしを残すようにすれば、
この絵のような悲哀はあれども、わずかな慈悲もそこに残る。

医療機関でも、目を皿の様にして『無駄を無くせ!取りこぼすな!!』
と医療費の削減ばかりを目指すのではなく、あともう少しゆとりが与えられると、
その隙間から本当の患者志向サービスが産まれるかもしれない。

でもおそらくそれは無理かな。
既に、“自社の利益を最大化させよう”とする営利企業が、
ミッチリと調剤報酬に食いついている。食い物にしている。

なんとかのフクタロウとか、なんとかクオールとか、
大手チェーンはまず、『どうすれば株主が満足するか』から入ってくる(笑)
『どうすれば点数を稼げるのか』
そもそもスタートからして違う薬局たちが、時には不正までして限られた医療費を貪っていく結果、
改定の都度、薬局には厳しい規制が盛り込まれて、
普通に、愚直に、クスリと患者に向き合いたいだけの薬局も巻き添えになってしまう。

冒頭に gleaning とは書いたけれども、
何でもかんでも刈りつくしてしまおうとしないことで、
悲哀はあれども慈悲もある、そういう全体調和の取り方があることを
向こう2年のテーマにしていこうと思う。