非常に気の毒な事に、
武漢肺炎に罹ってしまった20代の女の子の容態が急変して“重篤”と報道されていた…
誰かを責めてこの命が助かるわけじゃないんだけどさ、
「少し厄介な風邪」だとか
「まだ現時点では国内の流行は認められない」とか
「リスクが高いのは高齢者」だのと
適当な事を並べ立てて必死に危機を過小評価しようとしていた連中やメディアには相応の必罰を望んでいるぞ((怒))
それはさておき
重症化しても有効な治療方法が無い以上、“人工呼吸器につないでどうにか回復を期待する”くらいしか手だてが無いようだが
その人工呼吸器について聞くと なんと全国に5〜6000しかなく、そして既に半数近くがその他の傷病も含めて使用中とのことだ…
今の感染者の拡大、増加率と照らし合わせればとても足りないことは明らかじゃないか?
だから検査をしない(検査をしなければ感染者は増えない…)
うん、狂っているな
こんなことは早晩明らかになってしまうことだというのにね
重篤だという女の子についても行く行く結果が出るだろうが、
若い子たちがバタバタと死んでようやく日本人は目を覚ませるのか?
昔、太平洋戦争で学徒動員やら本土空襲やらで若者が死んで悲惨だったと語り継がれたのは一体なんだったんだ?
表題に“国民総トリアージ”と書いたが、
まさしく今、私たちは改めて【誰を生かすか】を問われているぞ
これは【誰を見棄てるか】という命の選別でもある
さらに私なりに言わせるとそれはつまり
『まだ生きている老人らから人工呼吸器を剥ぎ取って若者に装着させること』
なんだな…
その現実を今、何人が直視出来ている?
以前に【トロッコ問題】でも書いたが
思考実験の段階では多くの参加者が
“一人の犠牲で二人以上が助かるなら一人を犠牲にする”
を選んでいる
私も『命は平等』なんてキレイゴトで誤魔化さないつもりだ
ご老人らを軽視するつもりは決してないが、
次代を担い、やがて子を産む10代20代と天秤にかけるならば迷わず【70代以降には犠牲になってもらう】という選択をするのだと思う(ある意味、国の考えと一致しているな)
しかしその一方で
「自分が死ぬのはまっぴらごめんだ」
と思っているのも事実だ…
もしも自分の命を差し出す代わりに
若い命が10救われるとしたら、、
その命、擲てるか?
誰か他人の命なら単純に損得勘定できるが、ことに自分となれば難しい、その矛盾があってこそヒトだ
昔の侍や軍人ならそうできても今は時代が違う
誰だって自分が大事だ
次いで身内が、恩人友人知人が大事だ
自分の身の回りが全てで、知らない誰かのために人知れず犠牲になれるものか
だから、誰かが【ナタを振り下ろす】必要がある
災害現場ではドマートがやる
国難では…政府か
出来るのかな?
それに黙って従えるかな?
posted by うたまろう at 02:27|
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武漢ウイルス考察