2020年03月12日

自由の国も、ついにその『自由のツケ』を支払う時がきたようだ

アメリカでのまん延具合がボチボチ明るみになってきた
“自由の国”アメリカには日本のような皆保険制度が無いので、
かの国でもおそらく本当の地獄がここから始まるかもしれない


幸いにも皆保険制度に守られたここ日本では
「なんかダルいなー、風邪でもひいたかな?」
となれば「そうだ、病院に行こう、、」
というのがおおよそ普通の感覚だ(それもそれで多大な問題を孕んでいるが、、)

しかし“自由の国”アメリカには我々日本の様な皆保険制度が無いがために
・民間の保険会社に決して安くはない保険料を払って加入する
・保険には入れず、かといって医療費も払えないので自分でクスリを買うか野垂れ死にするか
の、どちらかだというから恐ろしい、、

病気やけがに備えて保険に入るのも自由
保険に入らなかったばかりに医療にかかれず野垂れ死にするのも自由


“自由”とはいったい何なんだ?

なお、アメリカにも低所得者にはメディケードという、
日本でいう所の生活保護者に対する医療扶助に似た医療制度もあるにはある
しかし問題はギリギリそこに入らない所得層が思いのほか多い事
当然ながら民間保険にも入れないので、かなりの無保険者の存在が社会問題となっていた

それを何とかしようと今から10年くらい前にオバマが制定したのがかの“オバマケア”である
これはざっくり言えば
【本来は民間保険に加入すらできないヒトにも強制的に加入できる制度】となる

「なんてすばらしいんだ!オバマ大統領万歳!!」

・・・と、思われただろうか?
ところがその結果として起きたのは
“今まで何とか保険に入れていた中産階級の人々すら支払えなくなる”
くらいに保険料が値上がりしたこと

そもそも民間保険では健康状態に応じて相応の保険料がかかる
これは保険会社が保険料以上の医療費を負担するリスクを負うからだ
そこに“オバマケア”が「本来は民間保険に加入すらできないヒトも保険に加入させよ」
という無茶を保険会社に強要するものだから、結果として全体の保険料まで値上がりした

ではいっそ保険から脱退してしまえばよいかというと
オバマケアが『それは許さない、罰金を科す』と加入が義務づけられてしまったのでそれもできない

・・・自由の国のアイデンティティの危機である

それからトランプに代わり“アメリカらしくない”とこれを廃止する方向にむかった
国のトップは『アメリカらしい自由』を選び、国民もそれを支持した

私はアメリカ人ではないからその是非については何とも言えないし、
ここ日本でも『延命治療をやめよう』『透析治療をやめよう』と、過激な意見が出ているのも事実だ

ただ、アメリカ人が一つだけ忘れてはいけないのが
病はヒトからもうつるということ

そして富裕層と貧困層が全く隔離されて別々に暮らしているわけではなく、
医療にかかれない貧困層に疫病がまん延すれば、富裕層だってただでは済まないということ

それにもかかわらず
『医療は金持ちのもの』
と、素知らぬ顔で自由主義を謳歌してきた、、

その“ツケ”が今、パンデミックという形で回ってきたとしか思えない


posted by うたまろう at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | モショっとつぶやく

2020年03月11日

3.11ではあまりにも多く失われた一方で、新たに生まれたものものある

本震のジャストタイムは仕事の真っただ中であると思うので
少し早くなるが犠牲者に黙祷する



・・・今や多くの人にとって過去となりつつある3.11ではあるが、
今もなお帰らない遺体や、今もなお続く避難生活者についても想いを巡らせる必要がありそうだ

変な話だが、この3.11があって今の自分もある
“ヒトはある時に前触れもなくあっけなく死ぬことがあるし、自分もそうなのだ”
と、現実感を伴って教えてくれたのは、母親の死よりもむしろこの3.11だった

だからこそそれまでに悔いと恥の無い生き方をする、
そういう切り替えというか、心に何かが着火したのが3.11だった

まだ何もかもが半ばであるのだけれど、
いつか何らかの“カタチ”を残すことができたら
「失われたものばかリじゃないぞ、生まれたものもあった」
と、大災害に一矢報いるんじゃないかと
そんな初心を思い出して気が引き締まった




posted by うたまろう at 03:55| Comment(0) | TrackBack(0) | モショっとつぶやく

2020年03月10日

『いい仕事をする』そのためには何が必要なのか?

最近、産休で離脱したスタッフさんに代わる人材を絶賛発掘中だが、
これが中々上手くいかない
(コロナか!?コロナのせいか!?)

そんな中でふと、今まで仕事を共にしてきた同僚たちの顔が浮かんできた

そこから
“いい仕事をしよう”って心が見えた同僚が何人いたかを振り返ってみたら
数えるくらいしかいなかった(笑)

一方で
隙あらばサボろうとしていたヤツ、
勤め先から甘い汁を吸い上げる事しか考えていないヤツ、、
なんていうのはいくらでも浮かんできた(まだ若い時の自分の顔も浮かんできた)

あともう一つ
“イイ仕事をしよう”ってヒトは特定の店や会社に極在していたな
とある会社やとある店に複数人いることがあっても、
モラルが低い集団の中に一人だけ頑張っているひとがいる、みたいなことは無かった

それがとても興味深くて
“イイ仕事をやろう”って心がける事はそんなに損なことなのか?
どうすれば皆が“イイ仕事”をやろうぜって思える職場になるのか?
といったようなことについての考えを書き出してみることにした

『そもそも良い仕事って何?』
という哲学的な話になるとヒトの数だけ存在することになっちゃうから、
ここではひとまず“私の思うイイ仕事”として進めていくのだぜ

私の思うイイ仕事というのは、相手が存在する仕事だ
ここでの“相手”とは、直接のお客さんだったり、あるいは次の作業工程のヒトだったりする
つまるところは【仕事の相手を慮りながら行った仕事】のことだ

ぶっちゃけ仕事なんて何も考えなくたって出来てしまう
決められたとおりに決められた時間で決められたものを完成させて提供していれば
そのプロダクトやサービスの対価はいただくことが出来る

でも、そこには必ず“相手”がいる
これを忘れたり、あえて無視すれば一体どうなるのか?

たとえば多少のクオリティを下げてでも早期に提供しなければならない状況下
それを一切無視して決まり通りの手順で作ってハイどうぞ、では、、
まずお客はブチ切れるであろう

あるいは【ここぞ】という場面で使う最重要なものを
通り一遍等のチェックでサックリ仕上げて後でポカが出てしまいましたー、では、、
やはりお客はブチきれるだろう、、

結論から言えば
【相手に合わせる】
これに勝るイイ仕事なんてない
場を見て、相手を見て、そこからどう最良の選択をするか、、
その裁量が働き手(店)の価値を決めていると痛感している

ただ問題がいくつかある
まずヒトには二種類の人間がいることだ
『空気が読めるヒトと読めないヒト』・・・だ(私はどっちなんだろうな(・ω・;))
そしておそらく、
空気が読めない人の方が圧倒的に多いということ

あなたは、どちらですか?
後、私はどちらですか(´・ω・;)?

その、大多数の空気が読めないヒトのために「マニュアル」があるのだと、最近になって気づかされた
しかしそのマニュアルで生み出せるものはせいぜい最低限の基準、最低限の速さ、、
無難なプロダクトに無難なサービス止まりだ
飲食業など業種によっては『それでも良い』というお客もいるけど
ことに医療でソレはどうなんだろう、、

いや、考えるまでもない。“不可”だろうな
間違いなく医療は働き手を選ぶ

第二に、“空気を読み続ける事は非常に疲れる”ということだ
現に私の疲労感を左右するのは患者さんの数ではない
【どれだけ患者さんについて考えさせられたか】だ
まずありえないとも思うが、何も考えない60人/日よりも
一人一人についてしっかり考えて進めた30人/日の方が圧倒的に疲れる
でもそれはプロとしては喜ばしい疲れ、なのだけれどな、、

話を戻す
“イイ仕事”に勤しまないヒトが全員、空気が読めないわけではない
(むしろサボりが上手いヒトほど空気を読むのが絶妙だったりする)

いつもいつも気を使っては疲れる、だから少し手を抜く、、
それは生物としての必然かもしれない
少なくとも自然に向かう行為ではなさそうだ
これが『生きるか死ぬかが左右される状況』ならまた違うかもしれないが


・・・ん?

そうか、分かった気がする電球
損とか得とかを考えて決めるような次元ではなかったのだ

生存戦略のレベルだった

かくいう自分がそうじゃないか
私が“イイ仕事”をするのは、別に美徳やモラルの問題からではない
私がイイ仕事をしなければならないと思うのは

自分が生き残るため


フリーランスは誰も守ってはくれない
「あいつは良く勉強している」
「アイツは自分のことを良く分かっている」
と、誰かがそう思って贔屓にしてもらわねば自分が生き残れない
・・・そんな強迫観念に突き動かされているからに他ならない

今や『相手が欲しいもの』を提供できない店はどんどん淘汰されている、、
『ウチではスープから飲め!!』
というラーメン屋なんてごく一部のマゾにしかウケなくて、
片や麺、野菜、ニンニクを『マシマシにするかしないかを自分で決められる』某次郎系の方が流行っている気がするのは単に自分の好みだけではないはずだ(笑)

結局のところは

『あそこはもてなしのツボを押さえている』
『あそこに行けば良い気分になれる』

“相手の好みに合わせることが出来る働き手(店)”が生き残っている様に、少なくとも私にはそう見える
だから私もまた自分、というか家族?を食べさせるためにいい仕事をする、、
それは必然だった

昔、私が初めに努めた会社には榊さんというリーダーがいて、
その方もまた、“自分が生きていくために働くヒトを採用する”と言っていたことを
今でも思い出す。これは本当に大切な事だった
そして気付けば当時の榊さんよりも歳上になってしまったな、、

ただ、皆が本能的にイイ仕事をするために【生きるか死ぬか】の環境を造るのが正解?

いつか私が伊村社長に強弁した
『独立して生きるか死ぬかになれば、私の様な怠け者もイイ仕事をするようになる!』
ということは立証されたものの、皆が皆【生きるか死ぬか】になっているのもいかがなものか、、

いずれにせよ“環境”がヒトを育むのは間違いない
も少し練りこんで考える必要がありそうだ
posted by うたまろう at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ふとした思い付き