2020年03月10日

『いい仕事をする』そのためには何が必要なのか?

最近、産休で離脱したスタッフさんに代わる人材を絶賛発掘中だが、
これが中々上手くいかない
(コロナか!?コロナのせいか!?)

そんな中でふと、今まで仕事を共にしてきた同僚たちの顔が浮かんできた

そこから
“いい仕事をしよう”って心が見えた同僚が何人いたかを振り返ってみたら
数えるくらいしかいなかった(笑)

一方で
隙あらばサボろうとしていたヤツ、
勤め先から甘い汁を吸い上げる事しか考えていないヤツ、、
なんていうのはいくらでも浮かんできた(まだ若い時の自分の顔も浮かんできた)

あともう一つ
“イイ仕事をしよう”ってヒトは特定の店や会社に極在していたな
とある会社やとある店に複数人いることがあっても、
モラルが低い集団の中に一人だけ頑張っているひとがいる、みたいなことは無かった

それがとても興味深くて
“イイ仕事をやろう”って心がける事はそんなに損なことなのか?
どうすれば皆が“イイ仕事”をやろうぜって思える職場になるのか?
といったようなことについての考えを書き出してみることにした

『そもそも良い仕事って何?』
という哲学的な話になるとヒトの数だけ存在することになっちゃうから、
ここではひとまず“私の思うイイ仕事”として進めていくのだぜ

私の思うイイ仕事というのは、相手が存在する仕事だ
ここでの“相手”とは、直接のお客さんだったり、あるいは次の作業工程のヒトだったりする
つまるところは【仕事の相手を慮りながら行った仕事】のことだ

ぶっちゃけ仕事なんて何も考えなくたって出来てしまう
決められたとおりに決められた時間で決められたものを完成させて提供していれば
そのプロダクトやサービスの対価はいただくことが出来る

でも、そこには必ず“相手”がいる
これを忘れたり、あえて無視すれば一体どうなるのか?

たとえば多少のクオリティを下げてでも早期に提供しなければならない状況下
それを一切無視して決まり通りの手順で作ってハイどうぞ、では、、
まずお客はブチ切れるであろう

あるいは【ここぞ】という場面で使う最重要なものを
通り一遍等のチェックでサックリ仕上げて後でポカが出てしまいましたー、では、、
やはりお客はブチきれるだろう、、

結論から言えば
【相手に合わせる】
これに勝るイイ仕事なんてない
場を見て、相手を見て、そこからどう最良の選択をするか、、
その裁量が働き手(店)の価値を決めていると痛感している

ただ問題がいくつかある
まずヒトには二種類の人間がいることだ
『空気が読めるヒトと読めないヒト』・・・だ(私はどっちなんだろうな(・ω・;))
そしておそらく、
空気が読めない人の方が圧倒的に多いということ

あなたは、どちらですか?
後、私はどちらですか(´・ω・;)?

その、大多数の空気が読めないヒトのために「マニュアル」があるのだと、最近になって気づかされた
しかしそのマニュアルで生み出せるものはせいぜい最低限の基準、最低限の速さ、、
無難なプロダクトに無難なサービス止まりだ
飲食業など業種によっては『それでも良い』というお客もいるけど
ことに医療でソレはどうなんだろう、、

いや、考えるまでもない。“不可”だろうな
間違いなく医療は働き手を選ぶ

第二に、“空気を読み続ける事は非常に疲れる”ということだ
現に私の疲労感を左右するのは患者さんの数ではない
【どれだけ患者さんについて考えさせられたか】だ
まずありえないとも思うが、何も考えない60人/日よりも
一人一人についてしっかり考えて進めた30人/日の方が圧倒的に疲れる
でもそれはプロとしては喜ばしい疲れ、なのだけれどな、、

話を戻す
“イイ仕事”に勤しまないヒトが全員、空気が読めないわけではない
(むしろサボりが上手いヒトほど空気を読むのが絶妙だったりする)

いつもいつも気を使っては疲れる、だから少し手を抜く、、
それは生物としての必然かもしれない
少なくとも自然に向かう行為ではなさそうだ
これが『生きるか死ぬかが左右される状況』ならまた違うかもしれないが


・・・ん?

そうか、分かった気がする電球
損とか得とかを考えて決めるような次元ではなかったのだ

生存戦略のレベルだった

かくいう自分がそうじゃないか
私が“イイ仕事”をするのは、別に美徳やモラルの問題からではない
私がイイ仕事をしなければならないと思うのは

自分が生き残るため


フリーランスは誰も守ってはくれない
「あいつは良く勉強している」
「アイツは自分のことを良く分かっている」
と、誰かがそう思って贔屓にしてもらわねば自分が生き残れない
・・・そんな強迫観念に突き動かされているからに他ならない

今や『相手が欲しいもの』を提供できない店はどんどん淘汰されている、、
『ウチではスープから飲め!!』
というラーメン屋なんてごく一部のマゾにしかウケなくて、
片や麺、野菜、ニンニクを『マシマシにするかしないかを自分で決められる』某次郎系の方が流行っている気がするのは単に自分の好みだけではないはずだ(笑)

結局のところは

『あそこはもてなしのツボを押さえている』
『あそこに行けば良い気分になれる』

“相手の好みに合わせることが出来る働き手(店)”が生き残っている様に、少なくとも私にはそう見える
だから私もまた自分、というか家族?を食べさせるためにいい仕事をする、、
それは必然だった

昔、私が初めに努めた会社には榊さんというリーダーがいて、
その方もまた、“自分が生きていくために働くヒトを採用する”と言っていたことを
今でも思い出す。これは本当に大切な事だった
そして気付けば当時の榊さんよりも歳上になってしまったな、、

ただ、皆が本能的にイイ仕事をするために【生きるか死ぬか】の環境を造るのが正解?

いつか私が伊村社長に強弁した
『独立して生きるか死ぬかになれば、私の様な怠け者もイイ仕事をするようになる!』
ということは立証されたものの、皆が皆【生きるか死ぬか】になっているのもいかがなものか、、

いずれにせよ“環境”がヒトを育むのは間違いない
も少し練りこんで考える必要がありそうだ
posted by うたまろう at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ふとした思い付き