2021年01月30日

誰をバスに乗せるか

乗員を乗せ、どこかに向かって進むバス…

初めから乗っているヒト
途中から乗ってきたヒト

乗員は様々なれど、バスに乗っている間は同じ目的地を目指している

途中で降りるヒトもいる
気付けば、初めからバスに乗っていたのは私だけだ
そんな私自身も、いつかはバスから降りる日が来るかもしれない

私がバスを降りてもなお、バスは進み続けるだろうか?
その時に乗っているヒトは、あるいは最後の時まで乗っているヒトは一体どんなヒトなのだろう
そんないつかの事も考えることがしばしば増えてきたが、考えたところでどうとなるものでもなし

一つ確かなのは、今もこのバスは走り続けているということ

今乗っているヒトにとっても、故有って途中下車したヒトにとっても
納得が出来るようなかじ取りを続けていきたい

可能な限り



posted by うたまろう at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動日誌

エリックバーンの交流分析

“体系化されて後世に伝えられる心理分析学はマジでヤバい”

と、本能的に悟ってしまった


以下、エリック・バーン氏の交流分析からの丸々引用

>>交錯した交流​[編集]
例1a。AからAの交流へ、CからPで返答している(交錯交流)
コミュニケーションの失敗は、相手の自我状態とは異なった自我状態への話しかけ(交錯交流, Crossed)によって引き起こされる[8]。次のような例に見られる。

例1a:
A:「レポートを書いてくれますか?」(AからAへの交流)
B:「分かってるよ。そのうちやるから!」(CからPへの交流)

これは、仕事において、問題を引き起こしそうな交錯した交流である。
Aは、P(Parent)からC(Child)への交流に基づいた返事をするかもしれない。
すなわち、以下のようなものである。
A:「キサマその態度はなんだ、ふざけてるとクビにするぞ」

<<引用終わり

ざっくり言って、ヒトはP(ペアレント)の側面、A(アダルト)の側面、C(チャイルド)の側面がある
そして“社会人”は、これら側面を使い分けて社会生活を営んでいるというのが交流分析と理解した
心理学派によってはこの側面の使い分けをペルソナと呼んでいることだろう

話を戻す
いわゆる“仕事”においてはAとAとの交流が基本だ
よほどクリエイティブな仕事、あるいはよほど厳粛な仕事でもない限り
仕事場にPやCが出てくるのは非常にヤバい

しかし、、
とあるヒトが誰かにAからAでと言う認識で働きかけたにも関わらず
受け手がこれを→Cで受けてしまうとその返しは対Pへの切り返しとなってしまう

そうなると初め対Aとしていたヒトも、
返す刀はPとなり、それは非常に鋭利な切れ味となる、、

と、実際に事が運んでしまう前にこの交流分析の考え方をマスターし
誰もが自分たちを客観視できるようになっていれば、、と悔やまれる

ついでに
OK牧場のことも知ることが出来た
ガッツ石松氏で有名な、あのOK牧場

実はとんでもない意味があったと今更ながらに知る事が出来て嬉しい
ちなみに私自身は
Im Ok、But u r not OK.

という問題が露呈
折角なので
Im ok, and u r OK!
を目指していきたい
posted by うたまろう at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ふとした思い付き

2021年01月27日

こんな怪文書を回しているとますますココロが離れていきはしないか?

京都府薬剤師連盟から一枚のFAXが届いた

ちなみに、
“連盟”というのはいわゆる“薬剤師会”とは別の組織であり
公益社団法人であるがために政治的な活動を行うことが許されない薬剤師会に変わり、政治的な方面での活動を行う組織である


というかもうこのPDFをご覧いただくのが手っ取り早い


れんめい.pdf

・・・保険調剤とは、医療保険を原資として必要なヒトに必要な医療を配分する公的医療の側面を持っている
公的医療といえば調剤以外にも医科、歯科といったものもそのくくりにあり、
何より重要なのがその原資は同じ健康保険料から配分されること、つまりゼロサムゲーム的な奪い合いということ
そして、調剤を行う薬剤師に比べれば医師、歯科医師の方が圧倒的に強いということだ・・・

だから、薬剤師の権益を守っていく為に政治的な活動が不可欠という主張は決して筋違いとは思わない

今のご時世、どの業界も特定の議員、議会派に肩入れをすることで便宜を図ってもらうことはが当たり前のようになっている
ここ最近のGoToキャンペーン推しなどを見れば一目瞭然だろう、、

薬剤師だけがそれをやってはならない、と言う様な事の方がよほど道理が通らない事だろう

しかし、実際にはビラにも書かれている通り薬業界隈には政治色に無関心、あるいは毛嫌いする人の方が圧倒的に多い
なぜか?それは全国の薬局の過半数が個人によるもので(今は少し比率がかわってきたかな?)
“パパ・ママ薬局”などと呼称された時代もあった

そのことが『私らが別に声を上げんでもね』『誰かがやってくれているだろうしね』
というような考えを育んできたものと考えられている

となれば元々投票率がダントツに低い日本の気質に倣い、
調剤事務はもちろん、薬剤師すら政治にはわれ関せずという風潮がもうずっと何十年も続いてきたのは
ある意味自然の摂理のようなものであった

ただ、、
そんな風潮を嘆いてかのこの文書
れんめい.pdf
もう一回載せてみた

これ、読めば読むほど吐き気が押し寄せる文書
当ブログに比肩する厭味ったらしさというか、厭味ったらしさがハンパない
当ブログに比類する押しつけがましさというか、おし付けがましさが半端ない( ´艸`)

しかも、結局何が言いたいんだか、主訴がまとまっていないというか
一言で言えば“恥ずかしい文書”だ
きちんと複数人で推敲されたのだろうか?

一応、善意で解釈すると
“俺たちは頑張っている”
“一方で今、お前たちは無関心で良いと思ってノンノンとしているけど”
“いつまでもそれで済むか?理解しめせよ”
という主旨は読み取ることができる
でも、こんな書き出しと言い回しで、この文書の目的が達せられるか?


“理解したい!” “協力していきたい!”
って思わせられる文書なんだろうかこれは?

他の薬局さんはいざしらず、ウチにとってはそれなりに忙しい時間にFAXで回って来たから
ちょっとプンプンしています
posted by うたまろう at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ふとした思い付き