今再び医療リソースの逼迫してきたとのことだが
公立系の学校について二学期を開始するしないの話は未だ聞かない
夏休みも終わるが、普通にやるんかな?
新型株の影響か、ライフスタイルの変化か、昨今では子供→親への感染経路が有力化してきているらしいので、そうなるとちょっとまずいのではないか?
行政や医師会界隈は相変わらず『医療現場が逼迫しています』と声を上げてきたが、もうそれすらも風景と化してしまうことが何よりヤバい
【正常化バイアス】だ
ただ、知り合い筋などから実際の話を伺う分には常に常にではなく、ある程度の波があったらしい(それでも今は第6?7?くらいの波が来ているようだか)
それをもって冒頭では敢えて“再び”と表現してみたが、もちろん常に満床かつ退院待ちが続いた病院もあり、その一方では気づけばコロナ前とあまり変わらないどころか却ってヒマになったような…そんな医療機関もあるとのこと
さすがにそこに目をつけたか都知事もようやく“全てコロナに協力せよ、さもなくば吊し上げだ”と公布した
その是非はともかく現行法でどこまで実効性があるかは興味深い
今、武漢発コロナに対応可能な医療機関の収容率を示すマップについては現在真っ黒(収容率100%超え)になっている
収容率が100%を超えた時点で本来入院加療を要する方々が受け入れられない、野放しになっている状態となるが、本来それすらありえない状態なのにそれが200%300%といった数字になっているのは…
そう、まさしく我々が一年前に既に見ていた武漢始め諸外国と同じ様相を呈してきたと言う他にない
どうしてこんなことになってしまった?
感染を食い止める術は無かったのか?
…まぁ、普通に考えてオリンピックが良くなかった
仮に、オリンピック自体が本当に感染拡大に関与していないとしても
市井に向けて『自粛せよ』を呼び掛ける最中にこんなものを強行してしまえば市民らのモラルは根絶やしだ
自粛してはただ自身だけが損をして、その損を誰も補填してはくれない…となればあとに残るは個人単位の幸福追及のみ
もはや誰もが自粛しないことを悪と疑わなくなってしまった
こうなるともはや解無し、打つ手なし
それが今の数字に反映されていることは間違いない。
『オリンピックを分岐点として、悪い方への世界線に移ってしまった』
…と、“並行世界モノ”の観測者ポジションの人が言うだろう
いや、皮肉っている場合ではない
私自身は前々から書いてきたが我々も【生命の選択】に本腰で取り組まないと手遅れになる
こないだセンセーショナルに報道された妊婦さんの死産(厳密には早産に対応できなかっただけで助かる可能性はあった)の件がまさにその例だ
『コロナ陽性を省みずにどこか産婦人科に入院させてあげて!』
…ならば、あの母子は救えたかもしれない、しかしそのためにそこにいるであろう他の産前産後の母子が多数犠牲になる可能性がある
と、いった取捨選択について私たちは何ら解を用意していなかったこと、これが赤ちゃんを殺した真の理由だと思う
死すべき命、生かすべき命
それを予めハッキリさせておかずして
医療現場と、不運にも亡くなることになった当事者だけに死を押し付けるのは酷というもの
だからしっかり“国民としての議論”は欲しいな
後出しの卑怯モノにならないように、自分のポジションは先に表明しておくと
やはりまずご老人たちに死んでいただく他にないと考えている
本当に申し訳ないが、医療リソースを若者に解放していただきたいm(__)m
そして、替わりに第一に優先するは赤ちゃん、、ではなく
【若年層〜ミドルの生産世代】
というのが今のところ有力に
自分も含めた世代で恐縮だが、まずは生産世代を確保して社会性を保持する、その結果として赤ちゃん世代も守れる、と考えた
弱者切り捨てか!
ナチスドイツか!
と批判はいくらでも出そうだが、逆に何かしら犠牲を払わずにただ“子供を第一に”と声を上げるだけでは何も変わらない気がする
『高齢者に医療リソースは割きません!その替わりに若年層、生産世代を守ります!』
と、誰ぞ公人が明言するか否かが次の世界線の分岐点であると、私は真面目に思っている
しかし果たしてこんなアンタッチャブルな選択を断行出来る偉大なリーダーがこの国にいるとは思いがたく…また、世界線は悪い方への分岐点に向かうのかと暗澹たる気持ちに
そうなるまでの時間稼ぎというか、そのあたりをぼかしながら今すぐどうこうするには都知事の言うように『出きるのに受け入れていないところはすぐやりなさい』なんだろうけど
繰り返しになるが、政府系の指示にすんなり従えないほどこの国の分断は進んでしまった(この辺りは一党独裁が強いな)
振り返れば、当初はただ世代感の違いだけだった
感染しても軽症例の多い若年層に対し、ハイリスクとなる中年〜高齢者といった対立
やがてそこに感染者と非感染者との対立が加わり、ひいては地方対都市圏の対立も生んだ
(昨今ではもはや誰しもが感染しうるのでこの対立は薄まったが)
それと並行して、コロナによる打撃を受けた職種とそうでない職種に対立が生まれ、さらに打撃を受けた中でもそれに対して補償が得られた職種とそうでない職種にも明暗は生じた
そんな人々の分断が続くなかで待望のワクチンが登場したが、今度はワクチンの打つ打たない、あるいは打った人の中にもメーカーの違いが生まれてもはや収拾がつかなくなってしまった\(^^)/
人々の“ポジション”は文字通り十人十色となり『誰しもにとって都合のよい対策』はついぞかき消えてしまった
一昔前ならば“次世代のため”に一丸となれたかもしれないが、それも今や子を持たない、持てない生産世代の増加で必ずしも共有出来なくなってしまった
うーん打つ手なしか?
でも思考は絶やさずに、諦めは悪く
若い人たち、大変だけど誘惑に負けずになんとか頑張って欲しい
オジサン世代も頑張るよ