2020年08月20日

迷わなくなってきた

昨晩、仕事を終えて帰宅すると
大音量の虫の声に迎えられて驚いたΣ(゚Д゚)

至近距離、つまり足元に拡がる(?)植栽スペース(0.2u)で鳴いているのか
姿は見えないが、これはエンマコオロギで間違いない
コオロギを始め、音を奏でる虫たちのほとんどは“オスがメスを誘う”ために鳴く(たまに縄張り争いや威嚇のために音を出す連中もいるが)
ヒトによっては聞きたくないと思っていても聞こえてしまうノイズかもしれないが、求愛の歌なのだ
それも自分の家の軒先から聞こえてくるとなると、一気に親しみが増しはしないか?
少なくとも私はこれを、耳障りと感じることはない
むしろおちつく、、


そんな鳴き声の主がいったいどこに隠れているのか
子どもも呼んでしばらく探したが、全く見つけられなかった(笑)
しかしそんなひと時が“豊かな時間”であったことは確かだ

そんな我が家の、わずか0.2uの植栽ゾーン(笑)

当初は地面で、家が建つときにコンクリで埋められた
当時はそれについて別段に思うことはなかったが
紆余曲折を経て改めてコンクリを引っぺがして土を入れ直したいと思い直す様になった

もちろん、タダとはいかない
たかが0.2uとはいえ、それなりの出費だったと思う
同じ金額でそれなりのもの買ったり、出かけたり食べたりすることもできたかもしれない
傍から見れば
“僅か0.2uの植栽ゾーンを得るために、一度は埋めたものをワザワザお金をかけて掘り返す”
という愚行以外の何ものでも無いだろう

しかしそこで“迷うこと”はほとんど無かったと思う
あったとしても、このワガママを通すことで隣近所に迷惑が掛からないか?と言った部分くらい

そうして生まれたスペース
春に植えた多年草が定着し、生い茂っては夜ごとに虫が鳴いている、、

それ自体も良かったが、何より
“自らの過ちを受け入れて、本当に大切なものを手に入れられた”
という、自身の変革について満足しているのかもしれない

今までも様々な選択の岐路に立たされることは多々あった
自営を始めてからはなおさらに
その選択を間違えて、手痛い思いをしたことも少なくない

ただ、最近は外れが減って来たというか、万が一外れを引いてもそのことについて悔やむことが減って来た
たとえ思いが外れたとしても“納得がいく”ような選択が出来るようになってきていると思う

そう考えたとき、ふと、孔子の“四十にして惑わず”というフレーズを思いだした

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳従う
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず

ちなみに40歳を“不惑”と表現するのは、まさしくこの孔子の言に由来している

“惑わず”
初めてこのフレーズに触れたのは10代の頃で、当時は惑わないオッサンかっこいいなと憧れを感じた記憶がある

今、私自身も間もなく不惑だ(まだ数年の猶予があるが^^;)
確かに、この頃は戸惑うことが少なくなってきた実感はある

ただ、それは別に賢くなるとか判断力が向上するというものではないらしい
むしろ、歳を重ねほどに判断力は鈍る一方だと感じている

にも関わらず“惑わなくなる”とはどういうことなのか?
一つ、思い当たることがある
それは自分に本当に必要なものとそうでないものがハッキリ区別されるようになってきたということ

なんというか、以前に比べて【選択肢が減る】ような感じだ
10代20代ではAかBかCかDか?とアレコレ悩んだものが、今はAかBかの二択になっていることも少なくない
場合によっては“Aしか選べない”なんてこともある

だから“迷わない”と言うよりは、“迷うことができない”と言う方が適切なのかもしれない
欲したところで、どうあっても手に入らないだろうものも増えて来た

そう、不惑というのはある種のタイムリミットというか
自分の“最期”を自覚できたヒトだけに備わる、ある種のトリアージ機能なのだと思う

40代になっても10代20代と変わらずアレコレ手を出すのも素敵だが
その結果、どれをとっても何も為せず、何モノにもなれずのままに最期を迎えるのは少し寂しい
「あぁ、こうしておけばよかった」とならないように
自分にとって本当に大切なコトを知り、大切なモノだけに全リソースを割いて追求するのが不惑

そうして50で天命を知る、つまり“足る”を知るということになるのではないか、、

思えば孔子の言の通り、15で学び、30で立ち、40近くでだんだん惑わなくなってきた
50、60も概ねその通りになる可能性が高いと見るべきだろう・・・

しかし60で耳順か!
意は「60代になってようやく他者の言葉に耳を従えるようになった」ということ

君子の何たるかを説き続けた孔子自身でさえ、60でようやく他の人の言葉を素直に受け入れられるようになったと、謙遜もあるのかは知れないが、自分で言えるところが孔子の凄いところだ(笑)

posted by うたまろ at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | モショっとつぶやく
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