2020年03月31日

見え方、見せ方

黄色い皮に包まれたバナナがそこに置いてある

これが一つの理想形だ

フサつきでたわわにあるか、一本だけなのかは問題ではない

とにかく皮に包まれたバナナが、
おかしな虚飾も受けずただそこに置かれていること
それこそがベストな状態だ

もしもこれをご丁寧にも“剥いてしまった”となれば、途端にバランスが崩れてしまう
パフェじゃないんだから、剥いてしまってどうするよ?と

そんなことは頼んではいないし、望んでもいない

皮に包まれたバナナ
それは然るべきタイミングで手に取り、
そして然るべきタイミングで剥く、
その過程が、行為こそが何より重要だ
最終的にそのバナナを食べるかどうかを決めるのは、この過程だ

もうひとつ
バナナのレイアウトもまた、同じくらいに重要なことを忘れていた

バナナの中には傷モノだって混じってくる
しかしだからといって、
バカ正直にその傷を真正面に配置するのは奇をてらいすぎというもの

“正太郎”とは字の如く、
正しいもの、愚直で偽りのないものが好みとするオトコに思われることが多い

しかし、さすがにあまりにもバカ正直すぎるもの、
あまりにも剥き出しで露わすぎるものについては
さすがに如何なものか?と思う感性くらいはある

もしも自分が八百屋さんだったら
生計のために、時にはキズモノのバナナだって売らねばならない

そんな時、私ならば、少なくとも真正面に傷を向けることはしない
それはズルいことか?

もちろん、“偽り”や“詐術”を肯定する意図はない
あくまでも大事なのは「良い面」をまずは見てもらうこと
興味を持ってもらえること、それが“始まり”だと思うから

だから、もしも手に取ってくれたお客さんがいるのであれば
『お客様、そちらは少し傷んでしまっている箇所がありますので、、』
と、自ら説明をする義務はある

初めは良かれと思い、手に取ってくれたお客さんであれば
(まぁ、この傷が致命的となるものではない)と
納得してくれる可能性は少なくないのだから

しかし相手が気づかないことに便乗すれば、いずれ困るのは自分自身だ

相手は傷そのものに対して腹を立てているのではなく、
“傷を隠した”こと、“偽り”に激怒するのだから
そうなると、挽回は難しい


・・・そんな、バナナでいう傷はヒトで言えば何に当たるのか
ダメダメな部分か?
無くしたい過去か?
あるは良くも悪くも変えようがない“本質”の部分か?

いずれにしても、
ヒトであればバナナでいう“傷”を大なり小なり持っている
その傷を隠すか隠さないかは、その人次第であり

その人にとっての戦略・・・とも言えるかもしれない

ただ、個人的な好みを言えば
私はそれは初めは隠されていても当然だと思うし、
何でもかんでも露わにするのが美徳であるとは思わない

内に秘められたものがあって、
然るべき手順の末に、徐々に露わになっていく、、
それが一番、趣があると私は感じている(エッチな意味ではない)

しかしこれがもしも初めから包み隠さず露わにされていたら
果たして人はそこに興味を抱き続けられるか?

思わず続きを読んでしまう作品の共通点は
『先が読めない』ことがある

別にとってつけた様なオハナシが面白いとかではなくて
未知の部分があっていい、そう思う

一方で『最低限絶対に見せなければいけない部分』もある
このバランスがおかしいと違和感が残る
ましてや、短時間の面接であればなおのこと

見え方、見せ方、、大事だ


posted by うたまろう at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ふとした思い付き

2020年03月23日

意味が無いことは順次淘汰されていくだろう、、

新型感染症の拡大に合わせ、
保険診療の周辺でも“特例措置”の名の下に
今まで【しなければならない】とされてきたことが次々と省略される事態となっている

話がややこしくなるので詳細は割愛となるが、中には思わず
『え、そんなことしていいの?じゃあ今まではなんだったの』
と突っ込まざるを得ない事も含まれる

まぁ、制度を守る側はもちろん、
守らせる側だってこんなことはさしたる意味は無いと、薄々は感じていたのだろう

思い切って意味の無いことをやめる、
そうして本当に意味があることを残す、
大事なものだけを集中して守る、
そういう状況になったと考えて茶々や冷やかしは止めよう


これからはきっと

『ねぇ、これってどうしてやることになっているんだっけ?』

という投げかけに対して

「あぁ、それなら〇〇のために必要なので続けているんですよ」

・・・と、明確な答えが得られないもの、
あるいは明確な答えが有ってもそれが“どうしても必要だ”とはみなされないモノゴトは

『もう終わりにしましょう』と淘汰されていく可能性が高い

保険薬局、保険薬剤師はどうかな


「アンタにしかできない仕事はある?」
と、いつ突っ込まれてもたじろぐことのないように
いつでも職能は磨いておこう
センサーもしっかり稼働させてね。
posted by うたまろう at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ふとした思い付き

2020年03月10日

『いい仕事をする』そのためには何が必要なのか?

最近、産休で離脱したスタッフさんに代わる人材を絶賛発掘中だが、
これが中々上手くいかない
(コロナか!?コロナのせいか!?)

そんな中でふと、今まで仕事を共にしてきた同僚たちの顔が浮かんできた

そこから
“いい仕事をしよう”って心が見えた同僚が何人いたかを振り返ってみたら
数えるくらいしかいなかった(笑)

一方で
隙あらばサボろうとしていたヤツ、
勤め先から甘い汁を吸い上げる事しか考えていないヤツ、、
なんていうのはいくらでも浮かんできた(まだ若い時の自分の顔も浮かんできた)

あともう一つ
“イイ仕事をしよう”ってヒトは特定の店や会社に極在していたな
とある会社やとある店に複数人いることがあっても、
モラルが低い集団の中に一人だけ頑張っているひとがいる、みたいなことは無かった

それがとても興味深くて
“イイ仕事をやろう”って心がける事はそんなに損なことなのか?
どうすれば皆が“イイ仕事”をやろうぜって思える職場になるのか?
といったようなことについての考えを書き出してみることにした

『そもそも良い仕事って何?』
という哲学的な話になるとヒトの数だけ存在することになっちゃうから、
ここではひとまず“私の思うイイ仕事”として進めていくのだぜ

私の思うイイ仕事というのは、相手が存在する仕事だ
ここでの“相手”とは、直接のお客さんだったり、あるいは次の作業工程のヒトだったりする
つまるところは【仕事の相手を慮りながら行った仕事】のことだ

ぶっちゃけ仕事なんて何も考えなくたって出来てしまう
決められたとおりに決められた時間で決められたものを完成させて提供していれば
そのプロダクトやサービスの対価はいただくことが出来る

でも、そこには必ず“相手”がいる
これを忘れたり、あえて無視すれば一体どうなるのか?

たとえば多少のクオリティを下げてでも早期に提供しなければならない状況下
それを一切無視して決まり通りの手順で作ってハイどうぞ、では、、
まずお客はブチ切れるであろう

あるいは【ここぞ】という場面で使う最重要なものを
通り一遍等のチェックでサックリ仕上げて後でポカが出てしまいましたー、では、、
やはりお客はブチきれるだろう、、

結論から言えば
【相手に合わせる】
これに勝るイイ仕事なんてない
場を見て、相手を見て、そこからどう最良の選択をするか、、
その裁量が働き手(店)の価値を決めていると痛感している

ただ問題がいくつかある
まずヒトには二種類の人間がいることだ
『空気が読めるヒトと読めないヒト』・・・だ(私はどっちなんだろうな(・ω・;))
そしておそらく、
空気が読めない人の方が圧倒的に多いということ

あなたは、どちらですか?
後、私はどちらですか(´・ω・;)?

その、大多数の空気が読めないヒトのために「マニュアル」があるのだと、最近になって気づかされた
しかしそのマニュアルで生み出せるものはせいぜい最低限の基準、最低限の速さ、、
無難なプロダクトに無難なサービス止まりだ
飲食業など業種によっては『それでも良い』というお客もいるけど
ことに医療でソレはどうなんだろう、、

いや、考えるまでもない。“不可”だろうな
間違いなく医療は働き手を選ぶ

第二に、“空気を読み続ける事は非常に疲れる”ということだ
現に私の疲労感を左右するのは患者さんの数ではない
【どれだけ患者さんについて考えさせられたか】だ
まずありえないとも思うが、何も考えない60人/日よりも
一人一人についてしっかり考えて進めた30人/日の方が圧倒的に疲れる
でもそれはプロとしては喜ばしい疲れ、なのだけれどな、、

話を戻す
“イイ仕事”に勤しまないヒトが全員、空気が読めないわけではない
(むしろサボりが上手いヒトほど空気を読むのが絶妙だったりする)

いつもいつも気を使っては疲れる、だから少し手を抜く、、
それは生物としての必然かもしれない
少なくとも自然に向かう行為ではなさそうだ
これが『生きるか死ぬかが左右される状況』ならまた違うかもしれないが


・・・ん?

そうか、分かった気がする電球
損とか得とかを考えて決めるような次元ではなかったのだ

生存戦略のレベルだった

かくいう自分がそうじゃないか
私が“イイ仕事”をするのは、別に美徳やモラルの問題からではない
私がイイ仕事をしなければならないと思うのは

自分が生き残るため


フリーランスは誰も守ってはくれない
「あいつは良く勉強している」
「アイツは自分のことを良く分かっている」
と、誰かがそう思って贔屓にしてもらわねば自分が生き残れない
・・・そんな強迫観念に突き動かされているからに他ならない

今や『相手が欲しいもの』を提供できない店はどんどん淘汰されている、、
『ウチではスープから飲め!!』
というラーメン屋なんてごく一部のマゾにしかウケなくて、
片や麺、野菜、ニンニクを『マシマシにするかしないかを自分で決められる』某次郎系の方が流行っている気がするのは単に自分の好みだけではないはずだ(笑)

結局のところは

『あそこはもてなしのツボを押さえている』
『あそこに行けば良い気分になれる』

“相手の好みに合わせることが出来る働き手(店)”が生き残っている様に、少なくとも私にはそう見える
だから私もまた自分、というか家族?を食べさせるためにいい仕事をする、、
それは必然だった

昔、私が初めに努めた会社には榊さんというリーダーがいて、
その方もまた、“自分が生きていくために働くヒトを採用する”と言っていたことを
今でも思い出す。これは本当に大切な事だった
そして気付けば当時の榊さんよりも歳上になってしまったな、、

ただ、皆が本能的にイイ仕事をするために【生きるか死ぬか】の環境を造るのが正解?

いつか私が伊村社長に強弁した
『独立して生きるか死ぬかになれば、私の様な怠け者もイイ仕事をするようになる!』
ということは立証されたものの、皆が皆【生きるか死ぬか】になっているのもいかがなものか、、

いずれにせよ“環境”がヒトを育むのは間違いない
も少し練りこんで考える必要がありそうだ
posted by うたまろう at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ふとした思い付き