2022年05月14日

美咲ちゃんと断定…か

詳細はともあれついに“確定”となったようだ

先のミトコンドリア鑑定では“血縁関係者であるという仮定に矛盾なし”みたいな歯切れの悪い言い回しであったが、そこから進展して“本人の骨である”と確証が得られたようだ
この隔たりは大きい
しかし、これで問題が解決したかと言えばそうではない
なぜなら『まだ全身の骨が見つかっていない』から

頭蓋骨であっても、その一部を失うことが必ずしも死に繋がるとも限らない

すなわち“美咲ちゃんはまだ生きている可能性がある”ということ

もちろん、その可能性は低いと誰しもが思うところかもしれないが
あのお母さんが“まだ美咲は生きている”と信じる限り、お母さんにとって彼女はまだ生きているのだ…

しかしそれは同時に残酷な夢にもなる
これからも他の部位の遺骨が発見される、その度に希望の中の我が子の身体は逆に欠損していくのだ

(まだ大丈夫、これくらいの骨を失ったってヒトは生きていける、、)

と、あのお母さんはどこまでも希望を捨てない気がして仕方がない
でもそれではお母さんの精神もいずれ限界を迎えてしまうだろう

そうなる前にどこかで死を受け入れて欲しいと、個人的には思う

でもそれは外野がどうこう干渉することは決して許されない尊厳の問題だからマスコミ含めこれで幕引きにしてほしいとも思っている

あの一家にとって最善の結末がありますように
posted by うたまろう at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | モショっとつぶやく

2022年04月25日

祝休日に医療機関を受診する際の注意

まもなくゴールデンウィーク
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官公庁らと同じくほとんどの医療機関が休診になると思われるが、病やケガは都合よくヒトの休日を避けてくれるはずもないので注意されたし
私自身、新型コロナがまん延する直前の年のGWには謎の胃腸炎を貰ってしまい連休をほぼトイレで過ごす羽目になった(TT)
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よって、万が一に備えてGWも診療してくれる医療機関を把握しておくことは大事
連休に遠出をされる方ならばなおのことだ

ただし、やむをえずGW中に診療を受ける場合はいくつか注意がある
一つは専門性
例えばケガをしてしまうも幸いどこかでは診てもらえた場合でも、その先生が整形外科などの専門とは限らない
その場合は診てもらえたと安心せず、後日改めて専門の先生に診ていただくのをおすすめしたい

もう一つは費用のこと
輪番制などでこういった連休に臨時で開院・開局することになった医療機関においては
“休日加算”というプラスαの費用が発生することになる
もしかかりつけの先生がたまたまGW中も診療されている場合であっても医療費の請求に思わぬ増額があるので注意されたし
そしてそれは薬局も同様なので不要不急の受診であればGWの前、もしくは後にされることをお勧めしたい

ただしGWの直前ともなれば“連休を前にして体調を崩してしまった”といった方などで非常に混みあうのが慣例となっていることもあり、そこも含めてもう少し前に予定を組まれるのが無難と思われる
(今日明日でも遅いくらい。つまりこの記事を書いていること自体が間に合っていない、、)

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ふぅ
連休を目前にするとそわそわする

GWがお休みの方も、お仕事の方も
大きなケガや病気などがありませんように
posted by うたまろう at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 花が咲いたよ

2022年03月17日

立場は分かるけど、やっぱりあの大統領ってコウモリ野郎なんじゃない?

ウクライナの大統領だけど、

アメリカでは
リメンバー、パールハーバー!!
をやって
韓国では韓国で抗日の記憶を呼び起こしているらしい

そんでもって、今度は「日本の国会で喋らせてくれ」と言っているそうじゃないか

これは中々の恥知らずだな
この演説を機として「マジでウクライナどうでもいい」となる日本人が増える事は間違いない


各国の協力を取り付けたいという必死な立場も分かるが、わが国ではこういった手合いを
コウモリ野郎として蔑む文化があるので注意いただきたい


さすがにアメリカでパールハーバーを叫び、日本ではナガサキヒロシマ!と言い出す様なことはないと考えているが、、
一体何をしゃべるつもりなのか
とても楽しみだ


posted by うたまろう at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | モショっとつぶやく

2022年03月14日

いのちでいのちを削る

『5人の命を守るために1人の命を奪うことができるか』

という問いについて考える「トロッコ問題」と呼ばれる有名な思考実験があるが、
今まさにウクライナにおいて同じ問題が出題されている

様々な論点が存在するだろうが、ここでは
『世界の平和のためにウクライナの人々には犠牲になってもらうことを是とするか、否か』
という問いについて考えてみる


まず「3日で首都陥落」とも言われていたウクライナだが
侵略者への隷属を良しとせずいう気概に西側諸国からの支援が相まってか、今なお抵抗は続いている

西側陣営が「ここでロシアの息の根を止める」と言わんばかりに支援物資を送り込んでいるのは、今回のウクライナはこれまでの朝鮮半島やベトナム、アフガニスタンやシリアなどと異なり
“直接ロシアの喉元に刃が届く”特別な戦場であるためで間違いないだろう

一方のロシアも侵攻により日ごとに2兆円を垂れ流しているというから、手ぶらで帰れないことはもちろん、もはや軍事目標と民間人を区別するゆとりなどないものとして考えるべきだろう

ウクライナもよく耐えているとはいえ、本土防衛ともなれば国土は蹂躙され、女・子供を含む非戦闘員の死傷者も増える一方だ

情報筋によれば金融制裁も相まって6月頃にはロシア崩壊の見通しとのことだが
仮にそうだとしてもまだ3か月以上もこの泥沼が続けばウクライナも破滅的なことになっていることは間違いない
そういった背景のもとに“貴方はウクライナについていかに考えるか?”ということが世界中に問われている

先に個人的なの考えを申せば
西側陣営が間接支援続けることでウクライナの国土を犠牲にしてでもロシアを壊滅させようとすることを支持する
となる

ウクライナの方々には申し訳ないが、明日は我が身だ

もしもロシアがウクライナを制圧すれば、その前例によって今度は某国が台湾を、ひいては我が国に手出ししやすくなることは明らかなので、その懸念を振り払うには今ここで帝国主義者の息の根を止める必要がある
そして、今こそがその好機なのだ、、

『トロッコ問題』で言えば、間違いなく5人の中に自分たちも含まれている

『トロッコ問題』が思考実験として成り立つのは【自身とは無関係な5人と1人】について論じているからだ
自身と無関係な5人と1人についてだからこそ、“その命の重みの差”や“それらの命運に自身が関与する事の是非”について意見がやまない
しかし自分を含めてになればそうはならない
自分が5人の中に含まれていれば大半の人が迷わず1人を犠牲に出来るし、
なんならば自分が1人の方に含まれていれば5人を殺すことになろうともヒトはレバーを押せる
そのことを自覚しておくことが、今まさに犠牲になっているウクライナ人やわけもわからず戦地に送り込まれて死ぬロシアの若者に出来る唯一の事なのではないかと考えている

一方でこの問いに対する別の解として
『早く降伏しましょうよ!逃げても生きていればどうにかなります』
といった意見もあるようだが
これが見事に失笑を買っているのは言うまでもなく、自身に差し迫ったトロッコについて認識できていないとみなされるからだろう
あるいは近代的な文化様式に慣れ切ってしまった現代人にとって、ロシア政権のような前時代的な帝国主義は非常に異質なものとして映ることに気づけない共感性の少なさか、、


さて、まとまりが無くなってきたが一つ重要なこととしてわかったのは
生き残るためには常に5人の側になるように立ち回るべきということ

私たちが真に心配しているのはウクライナそのものではなく、ウクライナの“次”であろう自分たちだということは当のウクライナ人たちもよく分かっているだろう
そんなウクライナの生存戦略としては5人の代わりに犠牲になる1人ではなく、どうにかして5人の方に入ることにある(発端となるNATO入りを求めていたこともこれに当たる)

もっと大きな視点で言えば私を『私たち』に置き換える事だ
そうなると今度はウクライナを含む世界が5人に入り、今度はロシアが1人になる
そして今、現実に世界はその様になろうとしている

非常に強かである
今後、必要な場面では参考にしようと思う
posted by うたまろう at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | モショっとつぶやく